ゆの里TOP >> コラム「龍村監督が伝えたかったこと。」

龍村監督が伝えたかったこと。

『ゆの里通信』Vol. 1
あの人に会いたい〈映画監督 龍村 仁(たつむらじん)さん〉

作品ができて、観てくれる人の交流があって。 いい出会いの循環の中でテーマや人が見えてくる。

 「第一作から今回の第八番まで、結果としてつながって見えるから、よくがんばって計画的にこられましたねと言われることがありますが、私にとってはまったく逆。いつも、その時の作品が初めてであり、終わりだと思ってやってきました。とくに第四番から、観客自身が最初からスポンサーになる〝ひとこまスポンサー運動〟によって完成してきました。こんな人との出会いが影響して、エネルギーが沸いて、私の中で本気になっていくんですね。そこから、次の作品のテーマや場所が見えてくる。先の構想があるわけではなくて、水でいうと、ここから流れ始めていく感じです」。
そのためには、自分を赤ん坊のような無垢な状態にキープしておくことが大事と、龍村監督は言います。
 「ゆの里のお水と一緒で、山に降って岩や土のいい記憶を持ちながら、いい出会いのエネルギーを抱えて循環していく。そのお水が初めて人間の世界に出てきて、今度は私たち、いただく者の中でいい循環が生まれるようなことですね。水は最初に触れたものを記憶するから、この最初に〝何に触れるか〟も、すごく大事」
 第一番から、最新作の第八番まで、時代は20世紀から21世紀に変わります。
 『地球交響曲 第二番』の解説に、21世紀は私たち普通の市民一人ひとりが宇宙的な視野から、自分自身を見直す時代だと書かれています。
 その『第二番』で出演したのが佐藤初女さん。さまざまな問題を抱える心を病んだ人たちをやさしく迎える場所として「森のイスキア」を設立。初女さんが握る「おむすび」は、心を癒す食べ物として日本中に広まりました。
 映画の中の初女さんからは、東北訛りのもの静かな語りとは別に、その奥に光る思ったことはやり遂げる芯の強さも同時に伝わってきて、初女さんのやさしさだけではない〝意思〟を龍村監督は伝えます。
 同じように、映像の中で見せる「個」がにじみ出ていたのが、ジャック・マイヨール(2001年没)。素潜りで105メールという偉業を成し遂げた世界的フリーダイバー。短パン姿で自転車に乗り、イルカのジョジョと遊ぶ飄々とした超人は、実は相当な、やんちゃ男。そのジャックに、龍村監督はぐんぐん迫り、ピアノの名演奏(「月光」を弾く場面は秀逸です)をさせるシーンまで引き出します。
 「彼は究極の我がままな人。その我がままがあったから、人間ってどうなっているの? 哺乳動物のイルカと我々は親戚のはず、イルカに近づくことは? と突き詰めていって、素潜りで脈拍数が20台まで落ちるという、イルカと同じことがマイヨールの体の中で起こっていることを彼は証明してくれたのです」
 龍村監督の映像では、ふと見せる出演者のチャーミングな笑顔が印象的。それは、NHK入局時代からフリーの今まで、ドキュメンタリー映像を通して、人間の本質を描き続け、映画『地球交響曲〈ガイアシンフォニー〉』では、数々の問題を提起しながらも、人間の再生への惜しみない愛情があふれているからだと感じました。
 「ガイアの出演者は、自分の面白いと思うことをやりきっているんですね。この我がままの徹した先に、謙虚さや感謝が生まれてくるのだと僕は思います。
 そして、どんなシリアスな場面でも、微笑を忘れない。この一瞬を捉えるのは映画のよさですね」

地球交響曲 第八番』のテーマは〝樹〟。 宇宙的規模の中で、命のつながりを感じて欲しい。

龍村監督が『第八番』に取り掛かったのは、あの3.11の大地震と津波が起こる少し前。
 「こんな状況で制作する八番は、どんなふうになるんだろう
と思っていた時に、そこから立ち直る営みをしている人たちがごく自然にいることを知りました。そして、みんな、樹にまつわることをしていた。 古来から老大樹には、精霊が宿ると言われていました。奈良県の天河神社に奉納されている能面・阿古父尉(国の重要文化財)が、新作能「世阿弥」で使用されるため、新たに写が作られることになりました。その「阿古父尉」を復活する大役を担ったのが、当代随一の能面打、見市泰男さんです。
 樹にのみを入れることは、それ自体が神事。2011年9月の紀伊半島大豪雨災害で破壊状態だった天河神社に、樹の精霊が姿を現します。御神木には、目に見えない能面が無限に潜んでいると、僕は思っています。それを見える世界に引き出してくれるのが能面の世界。そして、見ている者たちの間で、物理的な生と死を超えた世界が繰り広げられるのです」
 『第八番』では、樹の精霊の音として、東日本大震災の津波で流された楓や松を用いて制作されたヴァイオリンも登場します。
 作者は中澤宗幸さん。世界中からヴァイオリンの修理が殺到する現代の名工のひとりです。
 テレビで流れる瓦礫の山を、奥様でヴァイオリニストであるきみ子さんが「木は昔の記憶を持っているはず。ああいう木で、ヴァイオリンはつくれないでしょうね」とポツリと言った言葉に、中澤さんが「できると思うよ」と答えました。
 「中澤さんは、ヴァイオリンは生命を記憶する有機体だと思える人。どうして300年も前のストラディヴァリが今も弾き継がれるのか。古くなればなるほど良くなるというのは、物質の世界では有り得ないことなのに、ちゃんとそれを理解する人が、この日本にいることが縄文時代から面々と続く樹の文化の現れだと思うのです」
 津波を経験した瓦礫は、ヴァイオリンだけでなく、チェロやヴィオラにもなりました。中澤さんは、「楽器は最初に弾いた人の記憶を宿す」という思いから、ヨーヨーマのような人が弾いてくれたらと、龍村監督に投げかけます。
 折りよく、ヨーヨーマが来日し、サントリーホールで演奏会があることをキャッチしますが、龍村監督が紹介するのはここまで。
 「ヨーヨーマが、このチェロの音を気にいるかどうかわからないし、被害者のためのというか、義務で弾かせるのは、アーティストにとってはやらないほうがいいと思ったから」
 結果、世界的チェリストは、コンサートのアンコールでカザルスの『鳥の歌』を演奏します。津波にあったチェロの〝音〟に、演奏者として心が動いたのです。
 龍村監督の映画は、こうして、いろいろな出会いをつないできました。
 「東日本大震災から4年。危機的な状況になればなるほど、日本人はパニックにならない特性があると感じました。それは、何万年という間に多種多様なものを受け入れてきて、観念的ではなく、体感的に知っている日本人の遺伝子のルーツのようなもの。今は、忘れているかもしれませんが、確かに日本人の記憶の中にあるのです。
 映画を通して、ゆの里のみなさんには、宇宙的規模の何かのもとで私たちは生きていることを、ぜひ、思い出してほしいですね」
 制作中も、ずっと「月のしずく」を飲んで、お水のエネルギーを感じていらした龍村監督。
 監督こそ、あらゆる状況下でも、すべてを受け入れて進んできた日本人の代表のような方だと思いました。
 8月、「ゆの里」での上映会では、さらに深い〝樹の精霊〟の話をしていただく予定です。ぜひ、ご参加ください。

龍村 仁(たつむら・じん)

1940年生まれ。映画監督。有限会社龍村仁事務所代表。|
京都大学文学部卒業後、NHK入局、主にフイルムドキュメンタリーを担当する。|
1992年より、ライフワークともいえる映画『地球交響曲』を公開。|
1994年京の文化賞、|
1996年京都府文化賞功労賞を受賞。『地球(ガイア)のささやき』など著者多数