ゆの里TOP >> コラム「「観光」というのは神仏の光を観ることからはじまります。」

「観光」というのは神仏の光を観ることからはじまります。

丹生

『ゆの里通信』Vol.5
あの人に会いたい 〈丹生都比売神社 宮司 丹生 晃市さん〉にう こういち

日本人は仏教が渡って来た時に、神仏両方大事にしていこうと決めたのです。

楼門(重要文化財)

 日本では、多神教に分類される神道や仏教の信仰が昔から現代まで続いていますが、元来日本人は宗教を絶対視するのではなく異なった考え方を認める、真理はひとつじゃないというところがあるんですね。それ以前に、我々がみんなで大事にしていかなければいけない心みたいなものが先にあって、みんなが幸せで平和に生きて行く手段として宗教があるんだと思っています。
 ですから、1500年前に仏教が渡って来た時に、仏も神様の一つとして大事にしていこうと決めたわけです。それから300年経った1200年前に、弘法大師が高野山を開山して、さらに神仏の融合を目指しました。

「罪は全部祓われました」と言い切る祓詞のようにあらかじめ祝う「予祝」は言霊信仰に通じます。

 日本人は、本来人間というのは素晴らしいんだという性善説をとります。でも、知らず知らずのうちに犯した罪というのはあるわけですね。それを取り除くために神に祈る。それが神道の祓いなのです。
 例えば神社に来れば手水で手を洗って口をすすぐということをしますが、手を綺麗にし、口をすすいで清潔な状態にする物理的な意味もありますが、精神的な意味も含まれています。あれは、禊なんですね。だから川に入って禊をする、海に入って禊をするというのが本意で、その省略形なんです。お参りする時に、鈴を鳴らすのも祓いです。さらに、正式に参拝したり祈祷すると祓詞というのがあります。祓詞というのは祓いの神様をお呼びをしてその神様に祓ってもらうための言葉なんですね。
 日本には言霊信仰といって、良いことを唱えると良いことが起きるとの考えがあります。延喜式祝詞という古い祝詞が今でも残っていて、その中で大祓詞という、この国が神様のおかげで平和にみんなが暮らせていることに感謝をし、罪穢を祓うための言葉を唱えるわけなんですが、最後は「全部祓われました」〝つみというつみはあらじと〟というふうに言い切ってしまうんです。大祓式が終わったら全ての罪穢が全部消えてしまいましたと。また、当社の「御田祭」で稲刈りから田植えまでを狂言仕立てで演じますが、これも沢山の米を神々に供えられましたというのが結末です。
 これは「予祝」、といって予め祝うという意味です。私どもの神社では、この大祓詞を知り・唱え・書く講座を開いています。

神仏に祈ったあとは、その土地で実った食べ物を美味しくいただくのも大事なことです。

 神社では11月23日に新嘗祭が執り行われますが、これは収穫祭です。その実りを神々に供えて感謝をする祭なんですが、この祭で非常に重要なのは食べ物なんです。というのは神様に供えればおしまいじゃなくて、神様に感謝してその土地でとれたものを供えて、それをおろしてきてそれを調理して神様と同じものを食べるというのが実は重要なんです。
 神と人とが同じものを食す
るということは、日本人の祈りの心の中でそれによって非常に強い力を得ることができるというふうに考えています。
 昨年の高野山開創1200年を受けて「いのりとみのり」という観光キャンペーンを、この紀北全体で行いました。紀北十二社寺にお参りしてその土地でとれた美味しいものを味わって帰ってもらおうというものです。観光というのは神仏の光を観ることからはじまります。観
るというのは感じるという意味でもありますよね。単にパッと瞬間見るんじゃなくて、その神様の光を感じて神様のおかげをいただくっていう、そういうようなことなんですね。
 実は、一番古い日本人の観光はお伊勢参りなんです。神様にお参りをした後、帰りに美味しいものを食べて帰る。それが非常に重要なことなんです。ですから、その土地の実りをちゃんと美味しく神様に感謝しながらいただく場所っていうものがたくさんあって欲しいというのが社寺としての願いです。そういう意味でも「ゆの里」さんが、自家製の野菜や地元の食材を積極的に使っておられるのは、素晴らしいことだと思います。
 私どもの神社でも、ここ天野の里のお米をお供えし、天野のお米で造ったお酒を御神酒にさせていただいております。

丹生 晃市(にう こういち)

丹生都比売神社宮司。昭和30年東京生まれ。国学院大学文学部神道学科卒業。神社本庁に勤務。昭和60年から丹生都比売神社権禰宜兼務を経て、平成18年宮司就任。累代の惣神主家から九州に分家した血筋にあたる。また、和歌山の観光誘致活動や地元交通機関の活性化に取り組むなど、活動の幅は広範にわたっている。